とうとうこの感情をどうしたらいいのかわからず、吐き出したかったためこちらに書かせていただきました
フローラさんこんにちは。
今ネパールのジャングルにいるのですが、1週間前に村で屠殺するところを見る機会がありました。
いつもお肉は食べているし、見たくないけど見とかないといけないよねと言われ「確かになぁ…でも見たくないなぁ」と思いながら見ました。
せめてヤギが痛みも感じないくらい一瞬でやって欲しいと思っていました。
日本人の男の子が志願してやることになりました。
もちろん躊躇いもあったのだと思います。
ナイフで頭を落とすのですが、初めてだからか力が足りなかったからなのか一度で斬ることはできず皮膚と筋肉までしか刃は届きませんでした。
その男の子も2回目は戸惑ってしまい、その間ヤギが痛そうに泣き叫ぶ声が耳に入り、逃げようと藻掻くところがずっと目に映りました。
結局村の人が斬りました。
斬られたあともしばらく動いている体が目に焼き付き私は解体作業まで見ることができませんでした。
それからお肉を食べるとその時の声が脳内に繰り返し響くようになり、おいしいのに食べることに苦痛が伴うようになりました。
ネパールではほとんどの場所でヤギの声が聞こえてきます。
目に入るだけで、声が耳に届くだけで涙が出てきます。
何度も何度もあのシーンが脳内で繰り返され、辛くてたまりません。
今回志願したその男の子も後悔が残っていたそうで、毛をむしるところから全部に参加したとあとから知りました。
立派だと思いました。
しかし、志願しないで欲しかったとも思わずにはいられません。
慣れている村の人に最初からやって欲しかったです。
経験よりも痛みを与えないでほしかったです。
私はやっていません。
自分ではやれないくせに、なんて傲慢なんだと思いながらもそう感じずにはいられないのです。
とうとうこの感情をどうしたらいいのかわからず、吐き出したかったためこちらに書かせていただきました。
【著書】 2024年2月刊行
2022年2月刊行
【妖精の庭】