庭は本当に奥深く不思議な場所ですね。
フローラさん、今月も妖精の庭のお手紙をありがとうございます。 先月はインスタストーリーズにまさかの全文掲載していただきまして、大変驚きました・・・。そしてありがとうございました。 フローラさんにそんなにわかってもらえると思っていませんでしたし、自分と同じようなことを感じている人が庭にいるなんて考えもしませんでした。 これでいいのだ、このままで大丈夫なのだ、と、フローラさんに言っていただけて、何かがゆるんだようで、涙が止まりませんでした。 いろいろあっても、みんなきっと私よりはちゃんと自分の人生を生きていて、悩みがあるとしても私ほど低次元ではなく、なんというか、全体的に自分ほど腐ってはいないだろうと思っていました。 だから、自分だけではないと知った今、急に、あまり自分を卑下してはいけない、それをしたら他の方々もディスることになるなと、変なブレーキがかかっています・・・。 先月のお手紙のお話になりますが、返信を送ってからしばらくしたある日、自分の中のルールがひとつ、わかりました。 私はずっと、人生は常に右肩上がりで、成長し続けなければならないと思っていました。夢が叶おうが叶うまいが、とにかくそれに向かって進み続けなければいけない。このままでいいなんて思ってはいけない。いつだってよりよい自分を目指さなければいけない。自分の場合、人よりもずっと努力を怠ってきて手に入れたものも経験も少なすぎるのだから、なおさらだ。そう思っていました。 別にそのままでいいじゃない、と言ってくれる人もいました。だけどその言葉も「お前はどうせ自分を変える勇気もないんだろ?ならその程度のレベルで生きてろよ。」というニュアンスに受け取っていました。だから、そういうことを言われれば言われるほど、いや、私、やれます!がんばれます!と言い返してきました。諦めたら見放されると思っていたし、人として終わってしまうと思っていました。 自分の中でのルールというより、それがこの世の真理くらいに思っていたので、ずっと気付けませんでした。だってそれが普通でしょう、それが人間でしょう、と思っていました。 このくだらない自分のままで、つまらない人生を生きて、何も為さずに死ぬなんて、絶対にダメだ、それだけはダメだ。それでは生まれてきた意味がない。何者かにならねば、何事かをなさねば、せめてそこに向かう過程だけでも残しておかねば。 だけど、そもそも私はがんばれない人で、だからずっと逃げ続けてこの状態なわけで、どんなに自分を責めても叱咤激励しても、できないものはできなくて、だから今の私なのだと、ようやく受け入れることができました。 今まで誰に言われてもわからなかった言葉が、捻じ曲げて受け取っていた言葉が、なぜかすうっと入ってくる瞬間がありました。 妖精さんのおかげです。 先月は何をお願いしていいのかわからず、おまかせにしましたが、そうしてよかったなと思いました。今の私には、自分が何を望んでいるのかもわからないので、今まではずっと、見当違いなお願いばかりしてきたと思います。それならいっそ、お任せにしてしまえばいいのだな、と、庭に入って今月で12か月目になりますが、やっとわかりました。 別にこのままでよくて、何も目指さなくてよくて、何にもならなくていい。それはとても悲しくてがっかりで、しょんぼりすることで、不安なことです。問題を先送りにしているだけのような気もします。だけど、心のどこかでものすごく安心している自分もいます。 自分の領分というのは、こういうことなのかなと思いました。 自分に嘘をつかないというのは、こういう感覚なのかなと思いました。 現実逃避をせず、無駄な努力(というより自分への虐待に近い)もやめて、ただこのつまらない人生を、つまらないなぁぁぁ!とめいっぱい味わう。それが今の私のすることなのだとわかりました。目の前のことをする。代り映えのしない毎日を、しょぼくれた自分のままで、ただ生きる。そんな自分をちゃんと観察する。すぐに目を背けて、無駄に問題を作ったり、どうでもいいことで気を紛らわしそうになりますが、そのたびに戻ってくる。そんな今です。 ホセ・ムヒカ大統領と世界の貧困のお話は、私のこの謎の上昇志向ルールにつながっていました。もっともっと、と、思い続けた結果、私は自分を壊してしまうところでした。私の今の物質的な暮らしは過剰ではない(つもり)ですが、過剰に求めるという点において、見事に一致していました。 何者かになるから幸せではない。何事かを成すから幸せではない。いくつの夢を実現するかで幸福度が決まるわけではない・・・のかもしれない。 そんなことを思うのは負け惜しみだと思う自分もまだいるけれど、それでも、一度立ち止まって、目の前の景色をゆっくり味わうことから始めます。 ゆっくり味わうのは、素敵なものだけだ、という思い込みもありました。 そうではなくて、それが好きだろうが嫌だろうが、とにかく目の前にあるものはすべて、味わうということなんですね。 庭は本当に奥深く不思議な場所ですね。見えないことや言葉で説明できないことばかりで満ち満ちていて、居心地がいいと感じてもいたたまれなくなっても、どちらにしてもい続けてしまいます。 今月も本当にありがとうございます。 【著書】 2024年2月刊行
2022年2月刊行
【妖精の庭】