今回のお手紙にあった、みんな大元でつながっていて、フローラさんも私もなく、みんな同じだという言葉にとても安心しました
フローラさん、妖精さん
2025年おめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
どうしても叶えたいもの。
昨年末からずっと考えていました。
それは、やっぱり「行きたいところに行けて会いたい人に会える私」です。
それを叶えられるだけの健康(家族も含め。家族も健康でなければ私も動けなくなるので)とそれを叶えられるだけのお金。
日々の生活はそれを叶える為に積み重ねていて、本当の私は、ここではないところに存在している、昔から常にそんな気持ちを感じていました。
ほんの数時間で行けるところでも、そこに行くまでにかかる費用を考えて今は諦めています。
そのお金を使ってもたちまち困るなんてことはないのに使えないのです。
行ける私になりたい。
子ども達にだって、美しいものをもっと見せたい。
自分にも夫にも子どもにも「世界はこんなに広くて優しく楽しく美しいんだ」って見せたいです。
私が小学生の頃に父が病気になり働けなくなりました。
そのため、お金のかかることはダメだと言われて育ちました。
だから尚更、子ども達には「ダメ、諦めて」とは言いたくありません。
だけど、そんなふうに育ったからなのかお金を使うことに罪悪感もあります。
今は誰も私にダメだとは言わないのに、今もまだ私が私に「お金のかかることはダメ」だと言っているのかもしれません。
夫が稼いだお金だから、というのもあります。
世間が、親が、義両親が、自由に生きる私に対してなんて言うだろう、なんてそんな本当にどうでもいい評価にビビっている私もいます。
起きてもいない将来の不安もあります。
そう、こうやってどんどん自分に言い訳して、叶えたいことを叶えないようにしているんですよね。
タイムリミットはどんどん近づいています。
ためらっている時間なんてないはずです。
なんのために今ここにいるのか。
私は幸せになりたい。
行きたいところに行けて、会いたい人に会える私は絶対に幸せだってわかっています。
その時自分がどんな顔して笑っているのかさえわかります。
初めて自分の願いを書いてみましたが、あぁ、ここにこうして書けば書くほど叶えたい。
フローラさん。
フローラさんがフローラさんじゃなくなっても、フローラさんにほんのかすかにでも触れていたいです。
今回のお手紙にあった、みんな大元でつながっていて、フローラさんも私もなく、みんな同じだという言葉にとても安心しました。
その言葉を聞いてフッと一瞬フローラさんを私の中に感じたような気さえしました。
2025年、私と私の大切な人たちが健康で幸せでありますように。
フローラさんと娘さんが幸せでありますように。
この庭でつながっているみんなが幸せでありますように。
楽しい1年になるといいなぁ!!!
今日はイヤホンでフローラさんの声(朗読)を聴きながら眠ることにします。
【著書】 2024年2月刊行
2022年2月刊行
【妖精の庭】