両親の結婚観のもと、母みたいになりたくて、でも母のようにはできませんでした
私は今、3人の子供もいる既婚者です。
亡くなった母に、母は27で結婚したから、27までは結婚しなくてもいい、そう言われて、のびのびと好き勝手な生活をしていました。
私も結婚したかったんです。恋愛して、大好きになった人と。でも、御縁がありませんでした。
父は、愛じゃ食ってけないという人でした。
母は、恋愛結婚はどんどんマイナスになるから、お見合いなら0から始まるからそれ以上下がらない、そう言っていました。
大人になって、娘の私から見ても、何故母は離婚しないのだろう、そう思う事がよくありました。
私が27を過ぎても、いっこうに結婚しなかったので、父は母に辛くあたりました。
私にもですが、私以上に母は責められていました。
一緒に遊んでいた友人達も、気がつけばみんな結婚していて、私1人独身。
毎日父に怒られ、独身に焦っていたそんな時に、ひょんな事から主人と出会い、父から逃げるように、主人の誘いについていきました。
そのすぐ後、母が胃がんに。
母は、自分のことよりも、周りの人の為に尽くす人でした。
そんな母が大好きで、母のようになりたかったんです。
両親の結婚観のもと、母みたいになりたくて、でも母のようにはできませんでした。
主人に、「びっくりするよね、俺と同等と思ってる」と怒られた時。
私の誕生日のケーキを、ナタを振り下ろすかのように、ケーキの箱でつぶし、怒鳴り散らして投げ飛ばし、飛び散ったケーキがついて悲しそうにしている息子を見た時。
母の形見のお茶碗を主人が割った時に、そこにおいてある方が悪い、そう言って、テーブルの上のおかずから何から何まで投げ飛ばした時。
出て行く理由は、もっといっぱいあったのに、勇気がなかったんです。
専業主婦でお金もなくて、3人の子供を連れて出ていく勇気がなかったんです。
ずっと子供の頃から、男の人を怒らせないようにしてきました。
子供の頃は、父に怒られないように。出入りの多い家だったので、来る大人の男の人を怒らせないように。
息子の鬱は、私が守れなかったからです。
自分が怒られるのが怖くて、守れなかった。
自分を守って、息子を守れなかった。
息子は、服薬はなくなったけれど、頑張りすぎるとご飯が食べれなくなったり、下痢をしたり。
それでも頑張っています。
息子は、私を守ってくれていたし、娘2人も、私をいつも許して支えてくれていました。
息子が鬱になって、長女が背中をむけて家を出ていって、ようやく子供達に許されてきた事に気が付きました。
そして、自分の人生を考えていなかったことにも。
もう、私、母みたいにはなれないし、やっぱり怒られないように生きるのはの嫌だ。
子供達に恵まれて、愛されて許されてきた事、働かなくても、今日まで生きてこれた事、お料理もお菓子もパンも好きに作らせてもらってきた事。これは、ほんとに有り難いことですが、添い遂げれないです。
長々書きましたが、子供にも経済的にも体裁ににも依存しない再婚をしたいです。大好きになった人と。
娘の高校進学を理由に、ここを出ます。今、準備中です。
自立して、離婚して、もう1度結婚したい。
大好きになった人と結婚したいです。
幼稚すぎると思われるかもしれませんが、できていなかったことだし、子供の頃から本当はそう思っていた事だったので、残りの人生を全てを循環できる結婚生活をしたいです。
【著書】 2024年2月刊行
2022年2月刊行
【妖精の庭】