短文集
アラビアンナイト スマホのアラームをセットしていると、電話が鳴った。23時半。何事かと思えばおそらくAmazonのデリバリーで、わたしは気づかなかったことにして寝た。朝起きるとWhatsAppに「下で待ってるんですが…」「こんばんは、マダム」「ハロー」「レセプションに渡します」とメッセージが届いていた。 引っ越してきたときに驚いたのは、アラブは本当にアラビアンナイトなのだということ。幼稚園、小学生くらいの子どもが、0時になってもモールにいる。最近は帰国のたび、百貨店は20時に閉まり、レストランは21時に閉まるので、しまったここは日本だったと慌てることも多い。 朝が遅いのかというとそんなこともない。むしろ日本より早い。子どもたちは7時半には学校に着いているし、7時台に仕事のメールをしても一般企業や学校関係は返信がくることもある。みんな、いつ寝ているのだろう。 終わりの後で お茶碗が割れた。娘が生まれたときに、中学からの同級生がくれたノリタケのものだ。割ったのは娘本人なので仕方がないとしても、ちょっと心がしょんぼりした。14年も、しかもドバイまで持ってくるくらい大切に思っていたことに、お茶碗が割れる瞬間まで気づかなかったのだ。 娘は勉強なんて好きじゃないと言う。日本にいたときは、3週間前から計画通りにテスト勉強を始め、毎晩遅くまで塾に行き、朝は5時に起きて復習をしていた。勉強をしなさいと言ったことは一度もない。結果が悪くて怒ったことも一度もない。娘は、勉強が好きではないらしい。 外見は誰のもの どんな人も、自分は実年齢より若く見えると思ってる。少なくとも、実年齢より老けていると思っている人はいない気がしている。人という生き物は不思議である。どんなにあなたの素晴らしさを語っても「でも」「だって」と言うのに、誰から言われなくても自分を若いと思っている。まことに謎である。 海外に行くと日本人は若く見られる。このわたしが、20代に見られることもある。このわたしがと強調したのは、年相応の自分でありたいという願望と、勘違いしないぞという乙女心からであるけれど、言われるとつい鼻の下が伸びることも知っている。もっと、受け入れるべきことは他にある。 いまさら言えない 我々日本人は、本当にアメリカ的な生き方をしたかったのだろうか。増え、濃く、早く、上に、もっと。新しい技術に、本当に喜んでいるのだろうか。そういうことにしたいだけじゃないのだろうか。良かった、幸せ、と大きな声で言うのは、そう言わないとやってられないだけじゃないのだろうか。 バウンダリー ママ友はあくまでもママ友であって友人ではないと思っている。でも、一度カフェでお茶をしただけの相手をお友達と呼ぶ人がいることも知っている。 分かり合えないのは、距離が遠いから、知り合って時間が短いから、ではない。お互いを良いと思い近づいた男女ですら、一緒に育つ親兄弟ですらわかり合っていない。それくらい、人が人のことを理解するなんてのは極々稀なことで、人生でたった一人そうした相手と出会えたらラッキー、それくらい確率の低いことなのだと分かれば、人との境界線なんて簡単に引けるだろうよ。 それぞれを五千字にしてもいいけれど、なんだか今日はそんな気分じゃないので短文のまま。いつか膨らませるかもしれません。 文章って、楽しいね。 短いと想像力が働く、誤解が生まれる。 長いと説得力が増す、より詳細に伝わる。 かと思いきや、その逆もある。 狙って書けるものじゃないなと、つくづく思う。 御簾の向こうで歌を詠みあっていた時代に生まれたら、なんてことを考える中東の朝です。 さて、仕事しよ。 ではね! 須王フローラ
