境目ともいえないような境目を



ロンドン・ユーストン駅の外に出ると、アスファルトが濡れていた。
ちっともつかまらないタクシーを諦めて、ウーバーに乗る。車に乗り込んだときにはもう、アフタヌーンティーに間に合わないことは決まっていた。
念の為、予約のメールをチェックすると、予約時間から15分までは席をキープするけれど、それ以上遅れる場合は電話してくださいと書いてある。

あぁ電話は苦手だよ。特に英語の電話は、技術的にまだ難しい。でも、そうもいっていられないので、事前に言いたいことをまとめて、電話をかけてみる。

ホテルの方が出た途端、ブワーッと言いたいことを言う。
「こういう者です!何時からアフタヌーンティーを予約しています!今向かっていますので、席を開放しないでくださいね!」
すると電話口から、「担当に変わります」と、冷静で優しい声が聞こえてきて、母語なら当たり前にできることも外国語だとできなくなる不器用さに新しい発見をした。そして、恥ずかしい。


日本でアフタヌーンティーに行くことは、まずない。同行の友人が初めてのロンドンで、かつアフタヌーンティーの経験がないと言う。それなら、一緒にロンドンらしいことをしようと予約をしたのだ。私は、旅先で観光地巡りはしないのだけれど、でも、こういういかにもなことも案外好きだ。
旅で何をするかというと、基本的にはずっとホテルにいる。自分の部屋にいるか、ラウンジにいるか。それくらいがちょうどいい。ドバイに住んでいても、まだ行ったことがない場所だらけだ。そして、たぶん、行かないままだと思う。
何を見た、何を食べたより、そこの土地の空気を知ったことのほうが、私にはずっと価値がある。というか、たぶん、あまりたくさんのことは知りたくない。世界中を旅するのは楽しいけれど、自分の道にある「たまたま」を見たいだけで、「わざわざ」を見たいわけではない。


友人と別れ、スーツケースを引きながら、ひとりロンドンの道を歩く。思いっきり鼻から空気を吸い込むと、いいところにはまった感じがした。
はぁ、なんて。
はぁ、いいなぁロンドン。

アップグレードしてもらったホテルの部屋で一晩を過ごし、ベッドと枕とシーツのなめらかな質感に、そうそうこれと日常を思い出した。田舎もいいけれど、都会が好きだな。

こんにちは。

M&Sで、バゲット、バター、牛乳、ヨーグルト、ハム、調理済みのエビ、リーフ、いくつかのフルーツを買って、部屋にこもっている。スーツケースにはインスタントのお味噌汁もあるし、醤油だってある。最高。

ただ、今日はまだ環境に馴染まないのか、何も書けていない。場所と自分の状態がマッチしないと、コトは動かない。こういうときは、慌てずに待てばいい。


かまって欲しくて、日本にいる友人とチャットをした。
「フローラは、その色の境目ともいえないような境目を、ずーっと撫でていられる人なんだよね」
まさにと思う。

ずっと謎だったのが、なぜ中身がこうなのに、わたしの外見はこうなのかということなのだけれど、その答えが今回わかったかもしれない。
田舎でずっとすっぴんで過ごしていた。食材に命をかけすぎて、着る予定の服をほとんど忘れたてきたので、毎日パジャマで過ごしていた。
ロンドンに着いて、予定とは違う地味なワンピースにはなってしまったけれど、簡単なワンピースを着て、雨だったので髪の毛こそ巻いていないけれど、いつも通りにメイクをした。すると、スゥっと息ができた。

なるほど、この外見は境界線。
田舎の空の色を撫で続けるのに境界はいらない。でも都会には、わたしには多すぎる全部がある。境界を引かないと、一つも大切にできないままみんな通り過ぎていってしまう。

前回来たときも歩いた道

こっちに来て、急に小説が読めるようになった。
本当に、全然、どなたの本も読めなくて、どうしてこんな自分が作家になれるのだろうと思っていた。世の中には素晴らしい作品がたくさんあるはずなのに。読めなくて悲しい。でも、突然読めるようになった。


1万字書いたところで何かがおかしいと思う。これでは小説ではなく、説明文だ。文芸にするにはどうしたらいいんだ?と、いくつかの小説をパラパラと眺める。すると、これまで読めなかった文章が、するする読める。もう、びっくり。
書き手の意図がわかるというか、普通の人が一生懸命書いている様子がわかるというか、この文章はわざとこうしたのですか?と冷静に質問ができたり、うまい(好みな)表現を見つけては宝箱を見つけた気持ちになったり、わからない、だってまだ1万字書いただけだから、これは全部勘違いかもしれないのだけれど、でも、読めるようになったことは事実。人生が3歩くらい進んだ、そんな感覚。
普通の人と書いたのは、自分の人生と関係のない場所にいる人じゃなかったという意味。違う星の人ではなくて、同じ時代に生まれた同じ国で育った人だったという気づき。

これまでは境界があったんだな。書いたら、境界が消えたみたい。あぁ、私って本当に慎重な人間だ!遅い!





来月中旬までに初稿を上げねばならなくなりました。
そういうことです。

えいえいおう。




ロンドンにて。   須王フローラ