意地でも不幸を選ばない



ドバイに戻りました。
今日はGrandir会(ビジネススクールのOB会)、明日はジュエリーの納品日、すっかり日常です。


執筆について書きたいこともあれば、妖精の庭について言いたいこともあるしで、頭の中がいっぱい!なのですが、最近とっても、ここ半年くらいとっても思っていることがあるので、今日はそれだけを書きます。



みんな、自分のこと「嫌われる存在」だと思いすぎだということ。
「好きになってもらえない」「自分には価値がない」って思ってる人の多いこと。拗らせすぎだ。



私もそういう妄想に囚われる瞬間はある。でも、それって絶対的に自分にとって損なのよ。私、損したくないのよ。損なんて大っ嫌い。いつも得していたい。つまらないことに心乱されたくない。そんなの許さない。だから、すっごく気をつけている。



人って生き物は、どこまでもいっても自分のことしかわからない。他人のことなんてわからないしコントロールのしようもないわよね。それは異論なしよね。でも、自分のことしかわからないけれど、その自分の「本当」すら辿りつけない。

だって、考えてみてよ。この世はすべてエネルギーでできていて、私たち含めすべては大元で繋がっていて、たまたま今この瞬間「あなた」という姿形をしている肉体にたまたまその意識があるだけなのよ。全部繋がっているの。全部。あなたという存在はあなただけで完結してないの。常に動いている。今この瞬間のあなたと、次の瞬間のあなたは別のもの。一つ前のあなたとは違うあなたが混ざっている。そんな常に変わり続ける自分の中に「絶対的な本当」を見つけることなんて無理なのよ。変わらない唯一絶対の自分は、存在しないから。




・どうしたら幸せになれるのか
・どうしたら自分に自信が持てるのか
・どうしたら自分のことを好きになれるのか




これはね、考えても仕方がない。だって、永遠にそこに到達しないから。
そんなの嫌だ、知りたい、幸福という姿形が見たいってみんな必死になるけれど、それは本当に難しいことなのよ。
もしかしたら、その答えに辿り着く人がいるかもしれない。でも、その答えをシェアしてもらうことはできないわ。だって、その人とあなたは持っている言語が違うから。言葉の定義があまりに違う。


じゃあ、どうしたらいいか。
それは、「考えない」こと。
何十年考えてもわからなかったことに、もうこれ以上の時間を使わないこと。考えそうになったら、思考を逃すこと。
まったく考えないことは無理かもしれない。人は不安と共にしか生きられないから、どんなに頑張っても考えてしまう人は考え続ける。私もそのタイプ。思考で遊んでしまうタイプ。だから、その思考が浮かんだら何度でも逃していく必要がある。


どうにもならないことに悩むことと、人生を真面目に生きることは全然違うことなのよ。人生は真面目に生きた方が絶対にいい。自分に正直に、他人に優しく生きた方がいい。真面目にふざけた方がいい。楽しいことをした方がいい。だからこそ、自分の幸せを阻むその思考を無視する練習をしなければならない。こんなの訓練だから。誰にでもできます。




どんな人間関係も、あなたが死んで半年、一年もしたらもうすっかり無かったことになります。
今私が死んだら、あなたは悲しんでくれるかもしれない。でも、半年もしたら私のことは忘れます。それでいいんです。それは冷たくないし、普通のこと。
実の母のことでさえ、30年経ったらもう思い出せないもの。あの悲しみはもう私にはない。


あなたが悩んでいる「人に好かれない」「周りと比べて価値がない」「嫌われる」は、あなたが死んだ途端、消えてなくなってしまうもの。あなた自身も、他人も、誰も覚えていない。だから、そんなものに必死にならず、もっと、今しかできないことに必死になった方がいい。今を楽しむことができないのなら「自分を悲しくする思考を捨てる」ことに必死になった方がいい。

何か得があるの?自分をいじめてお金がもらえるならしたらいいわよ。自分を嫌って人に好かれるなら嫌えばいい。でも、そうじゃないのよ。もっと言えば、自分のことをいじめて嫌っている人って、他人から本当に嫌われる。自分のことは嫌わない方がいい。何も得がない。





何が幸せかって、考えても仕方がない。辿り着かないから。
だから、愛由来に生きる時間を増やさないといけない。「いけない」のよ。だってそうしないと、8割の不安に飲まれたまま死んでしまうもの。それでいいの?私は嫌。
愛由来に生きることで、私たちは富優美とともに生きられるようになる。これは努力しなくても、結果そうなる。ついてくる。
富優美があったなら、人は大体のことに悩まないで生きていけるのよ。十分なお金があって、自分と他人に対する優しい眼差しがあって、外見と内面の美しさがある。
人それぞれ出発点は違うし、目指す場所も違う。幸せの定義だってそれぞれ違う。でも、そのパーソナルな幸せに辿り着くことは難しい。気付けない。だったら、どこを目指したらいいのか?それに対する答えの一つが、愛由来に生きることで富優美なのよ。


何十年考えても幸せにたどり着けないのなら、もういっぺんそこに真剣にコミットしてみてもいいんじゃない?試してもいいんじゃない?その方があなたが安心して生きられる可能性は高いと思う。だから、伝えたいのよ。


愛由来に生きることは「普通」のこと。あなたの絶対ではないかもしれないけれど、幸福ネイティブの人にはこれが「普通」。普通って素晴らしいのよ。普通に生きましょう。どうしたってオリジナルになってしまうのだから、普通をしましょう。普通をしたってちゃんとあなたになります。


愛由来に生きる。
自分をいじめる思考を逃す。

ちょっと考えてみて。そして、取り入れてみて。



あなたの健康寿命は何歳でしょうね。
今の体力と健康と好奇心を持って生きていられるのは何歳?60?65?70?
仮に65だとしても、私にはあと20年くらいしかない。
そのたった20年を、自分をいじめるために使うわけにはいかない。そんなの許さない。絶対に嫌!




私は

友達や認定講師たちと笑ってお喋りしたい。
恋人と旅行に行きたい、食事をしたい。
娘の成長を見たい。応援できたことを喜びたい。
小説を書きたい。自分で作れるあの静寂を堪能したい。
エネルギー哲学を伝えたい。妖精の庭を守りたい。
女子たちよ稼ごう。お金は、稼げるようになった方がいい。
贅沢のためじゃない。他人に自分を委ねなくてもいい人生であってほしい。その状態で、他人に委ねるのは構わない。
HANATSUBAMEを世界中のたくさんの女性に届けたい。
美容整形はしなくていい。可愛いあなたになるんじゃなくて、あなたを可愛くしてほしい。あなたを薄めないでほしい。健康が一番のアンチエイジングだってもっと体感を持ってわかってほしい。
ハイブランドを持って素敵になるんじゃなくて、自分を輝かせることで素敵になって欲しい。自分に光を。そういう生き方を提案したいから、クオリティの高いジュエリーをどこよりも安く提供したい。だって、何個も持っていて欲しいから。ダイヤモンドはあなたの力になる。



不幸を選んではいけないのよ。
意地でも幸せに生きる。そう決める。ちゃんと選ぶ。
愛由来に生きる。

あなたが不幸になるのは嫌だわ。
私の目の前にいる人は笑っていてほしい。
私はそれを見ているのが楽しいのよ。
誰かがゲームをして楽しいように、映画をみて楽しいように、私はそれを見るのが趣味なのよ。もう、物心のついたころから、ずっと。

考えるのをやめましょう。



ではね。
    





ドバイの自宅にて   須王フローラ