もう覚えてないのよ
ケニアから帰ってきました。
そういえば名古屋に住んでいたときのこと、ある日警察官の方がいらして「経営者の方の住所が出回っていますので、ご旅行中のSNS投稿は控えてください」と言われたことがあります。
確かに確かにと思って、それ以降リアルタイムで何かを投稿することはほとんどありません。
当時住んでいたのは素晴らしいマンションで、購入した場合3億超ですから、駐車場はちょっとしたモーターショーでした。そりゃ狙われるわね。
(我が家はそこを賃貸で借りていただけです)
SNSにリアルタイム投稿をしない、実生活がわかる本当のことを書かないようになって5年ほど。
こうして顔を晒してネット上でものを言っていると、どうしてもストーカー気質な方が発生しますので、芦屋に引っ越したときも周りにはほとんど言いませんでした。知っていたのは5人くらい。
言わなくてもなんとなく気づく人はいるもので、でもそうした方たちもわたしが隠していると気づくとわざわざ聞かないでいてくださいますから、それをとても有り難く思っていました。言わない優しさってありますよね。
今回のケニア旅行はほぼリアルタイム更新でした。
一般の方が我が家のレジデンスに入ることは不可能なので、気が緩んでいます。という名の安心感。
これで娘が家から離れたら、超リアルタイム更新をするかもしれません。
思ったことは、すぐその場で言葉にしないと消えてしまう気がするんです。味がしなくなった文章は、美味しくない。熟成された文章の旨みよりも、食材のフレッシュさの方が今のわたしには好みです。
ジラフマナーにも行きました。
ケニアでは、想像の何倍も多くの動物に出会えました。
会えなかったのは、ハイエナくらいかな。
キリンもゾウもライオンもヒョウもバッファローも、生きていました。
もう動物園には行かないと思います。
動物園の動物はちっとも会話をしてくれませんが、野生動物ははっきり話してくれました。家猫や伊勢神宮の神馬くらいはっきりと。
そう思うと、家猫にはストレスが少ないのかもしれません。神馬はどうなのでしょう。
神馬と会話をしたのはもうずっと昔のことです。
「また来ます」と言ったら、「次あなたが来るとき、私はいない」と言われました。
自分がいかに目の前のことを気軽に考えているのかと思わされた出来事でした。「また」って簡単に言ってしまう。
小学生で親を亡くすという経験をしても、自分が生死をかけた手術をしても、それでも「今この瞬間」の尊さを覚えていられません。
尊いかどうかなんて考えるのは人間だからであって、引きで見たら別に尊くもないからなのでしょうか。どうでしょうか。
人という生き物は痛いことには自覚的で、嬉しい楽しいことは素通りです。
痛いとき、人は「なぜこんなことが起きたのだろう?」「何が悪かったのだろう?」と考えますけれど、快感を覚えても「なんでこんなに良いことが起きたのだろう?」「なんで嬉しい気持ちになったのだろう?」などとは考えません。
わたしの人生は、すっかり嬉しいことの方が多くなったということなのでしょうね。
77歳で死ぬとわかった今(ケニアで寿命を知りました)、母の遺体を見たあの日のこと、手術をする前後のこと、一瞬で別世界にワープさせられるあの強烈さを思い出しています。
痛みを思い出しているのではなくて、はて、どんな気持ちだったかな?と思い出しているのです。そう、もうすっかり忘れているのよ。
これから小説家になろうとしているのに、そんな貴重な体験を忘れるなんてもったいない!といくら思ったところで、忘れるものは忘れるのです。
だからやっぱり、文章には賞味期限があるなぁと思うのです。ほんっと商品は自分自身。
バルコニーからも餌をあげられますあげられます。可愛い。
一度不幸の底(母の死と手術のことではないです)から浮上すると、つまり憧れていたあちら側に行くと、もう元いた場所に戻ることはできません。
一度こちら側に来てしまうと、飛び越えられない境界線がわかるのです。
あちら側にいたときは、この人生は終わるまで不幸なのだと思っていたし、どうがんばっても自分がこちら側に来るなんて想像もできなかったので、あちら側でがんばっている人の気持ちがわかります。まだ、今はわかる。
でもこれも、あと何年かしたらわからなくなるのかもしれません。
ほんとうにすっかりわからなくなってしまう日が来るのだと思います。
それがなくなる前に、何本かの小説を書けたらいいなー。
イギリスではがむしゃらに書きますよ。
ミャンマーと似た空気感だった
ケニアから帰ってきてすぐ、エネルギー哲学3days講座でした。
これまで5ヶ月間かけて行ってきた講座を3日間に凝縮した講座です。
たったの3日間です。
新規の方は情報量が多すぎて、頭がパンクしていました。そりゃそうだ!
ケニアに行く前、認定講師総代の高橋にだけ、もう講座は全部やめようと思うんだよねと話していたんです。
でも、ケニアに行ってその気持ちは変わりました。やめるやめる詐欺です。
講座が最後だと思って3daysに申し込んだ方がいて、ごめんなさいねと謝りました。いいえ!嬉しいです!と爽やかに言ってくださいました。なんてお優しい。
やっぱりどう考えてもエネルギー哲学にすべてがあるのです。
すべてなんて過激に聞こえるかもしれないけれど、これに触れているだけで人生がグッとずっと楽になるのです。
そんな人がたくさんいるのです。
良かったよねぇといつも思います。
他人のことも世界のことも、自分を通してしかわかりません。
だから自分のことを全部知りたいと思ったけれど、どうやらそれも不可能です。
この世は実にわからないことだらけです。
そんな世界を生きるために、やっぱりエネルギー哲学を伝えていこうと思います。
哲学講座をする小説家ってどうなの?ってchatGPTに聞いたら、全然ありです!と言われました。
こんな人もいます、こんな人もいますって有名な方の名前を出してきたけれど、そんな人確かにいるわ!やっだー超苦手なタイプ!
どうか、投稿ボタンを押したら、この記事がいい感じにマイルドに生成されていますように。
明日はジュエリーのことで出かけます。
それでは、ごきげんよう。
最近早く寝るようにしてるのよ、疲労をためない体になりたくて。えらいわー。
ドバイの自宅にて 須王フローラ
