ホセ・ムヒカ



ウルグアイのホセ・ムヒカ大統領が亡くなって2週間。
あの有名なスピーチを久しぶりに聞きました。

収入の8割を貧困解決のために寄付し続け、小さな平屋建ての家に住み、古い中古車に乗り、行き過ぎた資本主義社会・消費社会を是正しようと活動を続けた大統領でした。

ご興味のある方はネット上にたくさんの動画があるので観てください。




富のほとんどを一部の人間が持ち、残りのわずかな富を世界中のほとんどの人で分け合っている。これが世界の現状だと言われています。
自由が暴走した結果です。



私もこれを読んでいる多くの方も、富を持っている側だと思います。
十分な家に暮らして、満足な食事が食べられて、自由に電気ガス水道が使える。子どもを学校に通わせることができて、自分には仕事がある。洋服が欲しいと思えば買うことができる。
大富豪ではありませんが、豊かな暮らしです。

贅沢をするな、貧しい暮らしをしろと言いたいわけではありません。
誰かだけが幸せなのではなく、多くの人が幸せになる道に向かわなければならないというお話です。


私が誰かを幸せにできるのかといえば、それはできません。
私の発言や行動の結果、たまたま幸せになる人はいても、意図的に誰かを幸せにするなんてことは非常に難しいことです。
でも、あなたにも何度も経験があると思いますが、人は誰かの言葉や行動に勝手に励まされて、勝手に幸せになっていくものです。
ですから、やっぱり人にとって人は必要です。

幸せは自己責任だと言いたのでもありません。
それぞれが自分自身に意識的になることで、自然と全体が良くなっていくということです。





去年の夏以降、私はいわゆるハイブランドと呼ばれるブティックに行かなくなりました。何も欲しくなくなりました。

お買い物は好きです。だからといって、高いお金を払ってそのブランドの宣伝をして歩くことが私のしたいことなのか、ブティックに寄るたびに買い物をすることが本当に楽しいのか、自分に疑問を持ったのです。


子どもの頃、パリのシャネルの本店に行ったとき、日本の芸能人が靴やバッグを山積みにしているところに遭遇しました。
子どもの私が思ったのは、「そんなに買ってどうするの?」でした。
確かに、靴は一度に一足しか履けないし、バッグは一個しか持てません。


しかし、高校、大学となるにつれ、私の靴は5足、10足と増え、バッグは10個も20個も自宅のクローゼットに並ぶようになりました。
たくさん持つことはすごいことで、たくさんものを知っていることは偉いのだと思うようになったのです。
学校教育と消費社会にコントロールされ始めました。
不足を埋めるように、完璧なプラスチックになれるように頑張り始めました。


私たちの子ども時代はアメリカ的な、強いものこそ正義、ヒーローは一人であとは脇役、そんな価値観の時代でした。
ですから、同世代や上の世代には、前を見て上を見て進むアドレナリンに支配された生き方をしている人をよく見かけます。
私のそれも、自分でビジネスをするようになるまで続きました。




自分でお金を稼ぐようになると、自由に使えるお金が増えました。
それまでは親や夫が稼いできてくれていましたから、何でも自由になるわけではありません。
お金を自由に使えるようになった結果、たくさんのものは欲しくなくなりました。
お金=自分だとわかるようになったからです。


自分に見合った、身の丈にあった暮らしが快適です。
ビジネスを始めて9年の間、どんどん私の暮らしはシンプルになっていきました。


ドバイに引っ越したことがさらに暮らしをシンプルにしました。
断捨離ならぬ全捨離をしてこちらにきましたので、私たちの持ち物は今住んでいるレジデンスにあるものだけです。
日本にいたときは、洋間1室を衣装部屋と呼んで使っていたほどでしたが、今はクローゼットの三分の一は空いています。9段あるチェストのうち3段は使っていません。
それが私たちが持っているもののすべてです。




安いものや顔の見えないものを買わなくなりました。

カジュアルなアクセサリーが大好きでたくさん集めていましたが、ダイヤモンドとゴールドのジュエリーを少しだけ持つことにしました。その方が満足度が高いことがよくわかりました。
値段が高いから満足なのではなくて、手元あるのがそれだけだということにも満足するのです。
私が使わなくなれば、娘にあげることもできます。長く使えます。


友人が作るバッグを持つようになりました。
作り手の顔がわかるものに価値を感じるようになったのです。
鏡を見るたびに、自分らしいなと思います。


車は、惚れ込んだ車にずっと乗っています。
もう生産されていないモデルなので、ドバイでは中古車を買いました。
たまたまネットで見つけたとき、声が出るほど嬉しかったです。
中古車ですが、日本で新車を買うのと同じくらいの値段でした。
でも、声が出るほど欲しいものなんてなかなかありませんので大満足です。
乗るたびに、例え行き先が病院でも、毎回嬉しい気持ちになります。


寄付の金額は年々増えています。
個人からの寄付も法人からの寄付も続けています。
自分と家族が暮らすためのお金は必要ですが、必要以上のお金は不要です。
私は今の暮らしに満足しています。
娘と一緒に暮らさなくなれば、さらに暮らしは小さくなるでしょう。




人は、死ぬときに一番お金を持っているそうです。
使わないお金を稼ぐのに必死になる人生は、本当にあなたが生きたい人生でしょうか。
何かに追い立てられるように生きる人生は、本当に楽しいのでしょうか。
たまの贅沢は楽しいと思います。
安いものではなく、高くても良いものを買うべきだと思います。
自分で頑張って稼いだお金で何をしても自由です。
しかし、その自由が本当の意味での自由なのか、自由だと思わされているだけなのか、一度私たちは問うた方がいいと思うのです。
あなたの心を自由にしてくれる使い方こそが、良いお金の使い方です。


何に幸せを感じるのか、自分に問い続けなければいけません。

今日は、そんな問いを投げかけておしまいにしたいと思います。




須王フローラ