コナンなんて苦痛でしかない
12月からだったか、1月からだったか、いつ始めたのか忘れてしまったのだけれど、朝のジム通いが習慣化した。
通いといっても、下の階に降りるだけなのだから偉そうに言うほどでのことではない。しかしそれができなかったわけで、ようやくついた運動習慣には素直にブラボーである。ちゃんとした人間になった気がする。
ちゃんとした人間という観点は、私の人生において重要だ。
いつも自分がちゃんとしていない側にいる気がする私は、普通であることに憧れがある。
普通なんてないよ、人それぞれでいいんだよ、なんて自己啓発的なことではない。普通は、普通に生きられなかった人間にとって、幸福につながる指針になるのだ。それがわからない人は普通に生きてこられた人であって、それは神に感謝すべきことだと私は思う。
なぜ普通を考察しているのかというと、どうしてネイティブは普通にその言語を話すのだろうと考えながら朝の運動をしていたからだ。
私たちは当然のように日本語を話す。書く。
私は僭越ながら本を2冊も書き、素人ながらに発行部数は5万部超。今読んだら1冊目の文章の下手くそさに震えるのだけれど、それでも原稿が書けたのは書き続けてきたから以外に理由がない。
ネイティブが話せるのも書けるのも、話してきたから、書いてきたから、つまり大量にアウトプットをしてきたからだろうと思う。
世の中に出ている本のうち、実際に著者が書いているのは2割ほどらしい。あとの8割は、インビューを受けてライターが書く。
同じ日本語ネイティブであっても、自分で原稿を書く人と書かない人がいるのは、書いてきた人でないと書けないからなのだと思う。
今私はこうして、誰に頼まれずともnoteを書いている。書くことが苦ではない。うまくないけれど、書ける。だから原稿も書ける。
本の原稿を書いていない人たちが、私より能力が劣るとか、言語のセンスがないなんてことは思わない。私は「書ける」のだ。
そしてそれは「うまい」とは違う。
自分で原稿を書いている人たちの中で「うまい」人、それが小説家なのだと思う。
じゃあ私のように書けるだけの人(話せるだけの人)と、「うまい」文章が書ける人は何が違うのかといったら、もうそれは圧倒的なインプット量の違いなのだとようやくわかった。「うまい」人たちは、息をするように文章を読む。読んできた。
あちこちで書いているが、お恥ずかしながら、私はほとんどの小説が読めない。映画もわからない。コナンなんて苦痛でしかない。誰が犯人か種明かしをされても、まだピンとこない。人と感想を言い合うなんてとんでもない。カフェに着く頃にはもう忘れている。
そんな人間によく原稿が書けたなと思うかもしれないが、うまくなくていいなら書ける。でも、私が書きたいのは「うまい」文章なのだ。だからこうして、あーでもないこーでもないと「うまい」について考えている。
この考えるという行為自体がうまくない人の証明なのだが、それを考えると寂しくなるので、もうそこは放っておきたい。
イギリスの幼稚園児は当たり前だが英語を話す。ただ、語彙力は乏しく、表現力も稚拙だ。でも、ちゃんと意味は通じる。聞いてほしいことがたくさんあるから、彼ら彼女らは1日中一生懸命に話している。そうしているうちに、話す力はどんどん増していく。
ドバイはアラブ語圏だが、外国人だらけなので実質英語圏だ。インドやパキスタンの人たちと過ごしているとわかるのだが、話すのはとてもうまいが、書くことはできない人がいる。電話だと話せるけれど、チャットだと意思疎通ができない。私は反対に、チャットならしっかり意思疎通ができるが、電話だとうまくできない。
文章が「うまい」かどうかはこれだと思った。
書けるけどつまらないのは、私が幼稚園児だからなのだ。
インプットが足らない。世の中にどんな知的で素敵な表現があるのかを知らない。知ろうともしなかった。苦手だと逃げてきた。
語学は逆だ。インプットを大量にしてきた。保護者の英語クラスで行われたレベル分けテストも、筆記だから高得点を取れてしまい上のクラスに入れられた。会話力は下のクラスなのに。もう、ほんとつらくてしゃーない。
いやぁ、気づけてよかった。
これがわかれば、やるべきがはっきりする。
今からどれだけ「うまく」なれるのかわからないけれど、努力したい。
語学の方は、実は堪能になれる自信がある。どこからその自信が湧いてくるのか謎だけれど、こういう仏図はそうなると知っている。英語だけでなく、もう1言語くらい話すようになると思う。
日本語の方はそうした仏図がない。ただ、もう十分書く力は育っているので、「うまい」まで辿り着けるかはわからないが、書き続ける自分は見える。これは仏図でもなんでもなくて、「そう」という確信だ。
右からやってきたベクトルと、左からやってきたベクトルが交差する。
その位置が高ければ高いほど、うまくて面白い。
うまい文章が書きたい。うまい英語が話したい。
そのためには、たくさん読んで、たくさん話せばいい。
いいことに気づいたね。
おめでとう。
では、また。
ごきげんよう。
ドバイの自宅にて
須王フローラ