憧れては立ち尽くす


昨日、小説のプロットが完成した。
プロットとは簡単に言えば「あらすじ」である。
構成、キャラ設定、ストーリー設定、絶対に入れるシーン、セリフ、表現したい感情などの大枠が決まったということ。
すでに書き始めていたのだけれど、最近ハマっているピアニストの動画を観ていたらもっと周到に準備がしたくなり、プロット作りからやり直していた。
天才が努力したらこうなるのか!という驚きと、純粋に彼に憧れてしまい、もうもうまったく彼に夢中である。
この夢中については一つ大きな気付きがあったので、また改めて書きたい。

そんな彼を見て作り直したプロットだが、結果、やり直して本当に良かった。
1作目のプロット作りをしたおかげで、3作目まで構想ができた。実際に書くかはわからないけれど、取り組む作品のその先が見えることは安心材料になる。
作品が映像として目の前に見えたので、安心して書き始められる。
本日2025年2月7日、執筆開始。



子どもの頃からピアノが好きで、大人になってまたハマっている。
これまでに出した2冊の本の執筆中も、あるピアニストの曲を聴きながら書いていた。本当にずっと、文字通りずっと聴いていた。4年間お世話になった。心から感謝している。
そして今は、前段に書いたピアニストの曲に頼っている。

そう、頼っている。自分だけではきっと書けない。書けるかもしれないけれど、一人で書きたくない。だから助けてもらっている。わたしにとってピアノはそういう存在なのだ。

何人かのピアニストを通じて、世界中の素晴らしいピアニストを知る機会にも恵まれている。行ったことのない国のピアニストの演奏を聴いてうっとりできるなんて、もう本当にこの時代に生きられてわたしは嬉しい。
今週末も、反田恭平さんのピアノを聴くためにアブダビまで行く。
モスクに行きたいと思いながら面倒で避けてきたドライブを、ついにするときがやってきた。人って「好き」ならやれるんだわよ。

自慢をすると、インスタのストーリーで反田さんをメンションしたら「いいね」を貰った。ファンサである。らぶ。
奥様の愛実さんも大好きで、わたしは反田ファミリーを見てうふふとなるファンなのだ。ウキウキ、ドレスとアバヤを持ってアブダビまで行ってこよう。



わたしは音楽に詳しくはない。学生時代にグリーだったけれど、楽譜が嫌いで楽典が嫌いでどうしようもない部員だった。
ピアノに関しては、好きで聴いてるだけの完全な素人だ。でも、音楽は素人が楽しむためのものという側面が大きいわけで、素人が音楽を語ることは意味のあることだと思っている。
だからこれからもピアノについて書くし、家を建てるときには自宅内にサロンを作ってスタンウェイをインテリアとして置くし、世界中のコンサートに行って、あーでもないこーでもないとわかったようなことを言いたい。

ただ、誰かの小説を読んで好き勝手に言う気にはなれない。
つくづく自分が何をしたくて何をしているのかは、自分を見たらわかるものだと思う。
無いものを数え出したら無いものだらけで絶望する。
今自分が挑戦していることはそういうことなのだから、努力した天才や好きな作家さんの言うことをよく見てよく聞きたい。




わたしは老いについてよく考える。
HANATSUBAMEという美容ゼリーを作って売っていることもあって、アンチエイジング、アンチアンチエイジングについて、それはもう真剣に向き合う日々である。
それは外見の話ではないし、でも外見ってのは1番外側の内面だからやっぱり外見の話でもあって、毎日鏡を真剣に見ている。

わたしの最新の結論は、「43歳はまだ老化が始まっていない」だ。
HANATHUBAMEを食べるようになって、これはお客さんたちの体感でもあるのだけれど、食べたら、戻る。戻るとは若返るということだけれど、当然本当に若返っているのではなく、本来はこれくらいの外見ですよというところまで戻るという意味だ。
この戻るが働くうちは老化していると言わないのではないかと思っている。まるで哲学者のボーヴォワールのようなことを言うけれど、戻る、回復するうちは体が機能しているということなのだから、やはり老いてはいないのだと思う。
じゃあ老いとはいつ起こるのかといったら、戻らなくなったときだ。それが何歳でやってくるかは人それぞれだと思うが、少なくともわたしは43歳ではない。
頬は持ち上がり、法令線は消える。クマもシワも薄くなる。肌が内側から発光するのが目に見えてわかる。毛穴がふっくらして、フェイスラインがはっきりする。この前の日曜日にジムで痛めた膝は、5日後の今朝には8割がた痛みが消えた。

わたしはまだ成長側にいる。
信じる信じないの話ではなく、事実がそう言っている。
わたし個人の感覚としては、わたしはしっかり老いてきているし、20代のピアニストを見ては憧れ、小説家歴何年という人たちを見ては立ち尽くしてしまう。
でも、事実がわたしに若さを突きつけてくる。そして、これはわたしの感情まじりの感覚よりも正しい。


新しいことに取り組んでいる諸君。
共にがんばろう。
我らはまだ若く、成長中だ。
老いるにはまだ時間がある。



須王フローラ