幸せと不幸せの濃度



9月9日、誕生日を迎えました。43歳になりました。
朝起きてリビングに行くと、娘が作ってくれたバースデーのウォールステッカーと風船があり、しみじみと育ったなぁと感動したわたしです。
たくさんのメッセージが日本から届いていて、とても嬉しいです。ありがとうございます。



突然ですが、わたしは37歳が好きです。
もうしばらく会っていなくて、きっとこの先もよっぽど何かない限り会うことはないのだけれど、ずっと心の中にいる大切な誰か。そんな誰かを37歳に感じるのです。37歳の自分ではなく、37歳というあのときに思うということです。



最近妖精の庭の返信を読んでいたら、こんなことが書いてありました。

「私はフローラさんに出会って人生が始まりました」

大変恐縮に思うと同時に、その感覚わかるなと思いました。

「やっと人生が始まった」

わたしはそれを37歳のときに思ったのです。だから、37歳が好き。
何度も37歳に会いたくなります。




話は変わり、人生で一番小さい頃の記憶は幼稚園です。

年少さん、年中さんと過ごした幼稚園は、当時わたしが住んでいたマンションのベランダから見える距離にありました。
一人で歩いて通っていたような気がします。
その日がたまたまそうだったのかもしれませんが、もしかしたら毎日だったかもしれません。
時代が昭和だからということではなく、母親がそんな人だったからです。

年長さんのときに引っ越しをしました。
幼稚園へは車で通うようになりました。
わたしが小学生になったあと、妹は母と二人で幼稚園に通うようになります。
でも、それが開園前の早朝なのです。
妹は誰もいない園の門の前に置いていかれ、母はどこかに行ってしまいます。
この話を妹本人から聞いたのはずっと大人になってからのことでした。なんて親だと思いましたが、あの人ならやるなと思ったのも本当です。


わたしが3歳か4歳のころ、朝、玄関の鍵が閉まる音で目覚めました。
慌てて起きると母の姿がないのです。
3歳と1歳の子どもを置いてどこに行ったのかというと、近所の喫茶店です。モーニングをするために出かけた。

そのあとわたしがどうしたかというと、小さな妹を起こして(わたしも小さいのですが)、服を着替えさせ、布団を畳み、バナナを与え、テレビを見て母の帰りを待っていました。
わたしはわたしで、そんな子どもでした。


自由で、気ままで、思い立ったら即行動。
気分が乗らないことはしなくて、人が自分のことをどう思うかはお構いなし。
お嬢様育ちで働いたことはなく、高身長でスタイルが良くて華がある。
母はなんだかそんな人でした。


ずっと、母とわたしはだいぶ似ていると思っていました。
なぜそう思ったのかというと、20代のとき、小学生の頃の家族旅行のDVDを見て、そこに映っていた母がわたしにそっくりだったからです。
そこにはわたしにそっくりな母と、不幸を知らないわたしが楽しそうに映っていました。

でもですね、ついこの前、その映像をスクショしたものがカメラロールから出てきて、娘と見たんです。
そうしたら、似てないよって言うんです。
え?誰が見ても似てるよ、だって母の友人もそっくりって言ったもの!と思ってスクショを見ると、あれ?全然似てないかも?あれ?っていうか、ブスじゃない?この人(母)?なんて思って、日本にいる友達にLINEをしました。
ねえ、どう思う?
や、似てないし。フローラの方が美人だし。

なんで自分と母を似ていると思ったのでしょうね。
自由気ままで奔放で、自分の意見は絶対に譲らないところが似ているからでしょうか。今となっては謎です。




子どもの頃、と言っても母が亡くなるまでですが、わたしの家庭はとても平和で円満でした。
父も母も優しく、怒られた記憶はありません。
幼稚園も小学校も楽しくて、妹もかわいい。
近所には祖父母、お手伝いさんが住んでいて、駄菓子屋さんに行けば誰かしら友達がいる。
自分が幸せか不幸せかなんて考えたこともなく、親も先生も、大人という存在は安心の対象で、毎日今日は何をして遊ぼうと考えるだけの子どもでした。

わたしは自分のことを不幸出身と言いますが、生まれたその瞬間から不幸だったわけではありません。
母親を嫌だと思ったことはなく、わたしにとっては普通のただの母でした。父も同様です。わたしは父が好きでした。

その後、両親が別居したり、祖母と母の折り合いが悪いことに気づいたり、小学校でいじめにあったりと、大人から見ると不幸そうに見えることはいくつかありますが、それでも当時わたしが自分を不幸だと思っていたかというとそんなことはなく、わたし自身の興味関心はいかに習い事をさぼるかと友達と何をして遊ぶかでした。
学校の成績は常にトップで、運動も芸術もよくできました。何の不満も恐れもありませんでした。



何が言いたいかというと、わたしが不幸だったのは人生のうち27年間だけで、残りの16年間は幸せなのだということです。
年数にすると不幸だった時間の方が長いですが、それでも幸不幸の濃度を比較したら同じくらいです。それくらい16年間の幸せは濃いものだった。

いえ、わたしがそう感じただけでなく、元々幸せは不幸せより濃いのだと思います。
だって、みんな不幸があっても、その後に幸せがやってきたら「まぁいっか」ってなるじゃない。
やっぱり幸せというものはそれくらい強烈なもので、人生を丸ごと簡単に幸せにしてくれるもなのだなと思います。



幸せを体験すると、人生は簡単に幸せになってしまう。

言葉遊びのような、何言ってんだ当たり前だろみたいな。ふふ。



さて、幸福なわたしはもう寝ましょう。
ドバイも間もなく日付が変わります。
ようこそ、43歳のわたし。
よく43年間も生きてきた。
これからはもっと楽させてあげよう。お楽しみに。おやすみ。

2024年9月9日 ドバイの自宅にて

須王フローラ