気の長い話



フォロワーさんからのDMに目を丸くした朝だった。小説家の吉本ばななさんが、日経新聞で拙著を紹介してくださった。すぐに日本にいるうちの講師に連絡をして、新聞を買いに走ってもらった。わたしのファンの方も写真を送ってくださった。サンマーク出版の担当編集者さんと、嬉しい嬉しいと盛り上がった。親友は、本物はわかってくれるのよと言った。



先週、わたしは娘を連れて、ドバイオペラにポーランド国立バレエ団のGiselleを観に行った。わたしの娘は3歳から9年間バレエをしていた。小学6年生のときに辞めて以来、初めてのバレエ鑑賞だった。娘は9年間、それは一生懸命にバレエをしていた。週8でバレエをしていた時期もある。コンクールにも出た。毎週末名古屋から関西までレッスンを受けに行った。特別な才能があったとは思わないが、そして本人もそれはわかっていたが、わたしたち親子にとってバレエは人生の一部だった。だから、いくら納得して辞めたといっても、それは簡単なことではなかった。舞台を観てどんな気持ちになるのか、まったく想像がつかなかった。

実際にバレエを観て感じたのは、純粋な楽しさだった。娘がバレエをしていたときには感じることのなかった感覚。娘も同じだったようで、集中力を途切れさせることなく、舞台で踊るバレリーナたちに夢中だった。わたしたちが夢中になった理由の一つは、Giselle役が日本人だったことも大きい。ドバイモールを歩いているときに、たまたま広告を目にしてチケットを取っただけだった。前情報なくドバイオペラに行ったわたしたちは、舞台上にアジア人を見つけ、「ねぇ、日本人じゃない?」と声を弾ませた。ポーランド国立バレエ団、Giselle、影山茉以。パンフレットからその名前を見つけ、感動した。嬉しかった。中東のこの場所で日本人が主役を踊っている様は、海外で暮らす人間には勇気の結晶に見えた。心からの拍手を送った。



その翌週、ドバイオペラに今度はカーラ・ブルーニが来るという。知らない方のために書くと、カーラは元スーパーモデルだ。30年前、ナオミ・キャンベルやクラウディア・シファーなどのモデルたちが大ブームになった時期があった。当時わたしは中学生で、もれなくそのブームに夢中だった。わたしがその中でも好きだったのが、フランス人のカーラだった。カーラはイタリアからの移民で、父はユダヤ人で実業家、自身はスイスのボーディングスクールで子ども時代を過ごしたという。今こうして改めて生い立ちを見ると、好きになった理由が顔や体の造形だけではなかったことがよくわかる。少女だったわたしは、彼女の髄からの力強さに惹かれたのだろう。


カーラのコンサートは終始、ムーディだった。モデル、歌手、大統領夫人と華々しい経歴を持つ彼女は、60歳近くになっても女だった。サルコジ元大統領以外にも名だたる有名人と恋愛関係にあった。もちろん男性が放っておくわけがないのだが、カーラも男性を放っておかない。フランス女だ。黒のレザーパンツに黒のブラウスという出立ちでセクシーでいられる日本人のアラ還は何人いるだろう。付き合って2週間の絶頂期の恋人たちを歌ったラブソングを聴きながら、そんなことを思った。


ふと目を3階席に向けると、一人のアラブ人男性が座っていた。白い服を着て、頭に布を巻いているあの姿だ。腕を組んで、じっと歌を聴いている。その様子を見たとき、自分がアラブにいることを思い出した。そうだった、ここは有楽町の国際フォーラムじゃない。突然、歌声が遠くなった。



43年間生きてきた。その年月は語るには多い。誰の人生にも色々な出来事が起きるように、わたしの人生にも様々な運命があった。それぞれを小さな目で見ると暗く物悲しい雰囲気だが、大きな目で見ればうっとりする美しさだ。ドバイの夜景のようなギラギラとした光ではなく、レマン湖の湖畔から見える月明かりのような美しさをたたえている。ドバイオペラの中にその雰囲気を見たわたしの体は、静かに熱を帯びていった。ステージ上のカーラに目をやると、30年前と変わらない美しい姿がそこにあった。モデルから歌手になり、大統領夫人となったカーラ。モデルでも歌手でもないけれど、目の前のことを一生懸命にしていたらここにいたわたし。30年前、中学校の教室で見たフランス人のモデルが、今、目の前にいる。よくやった。小さく自分を労った。



ばななさんの書評が日経新聞に出たのは、カーラのコンサートの翌日だった。とどめを刺された気分だった。大トリ、吉本ばなな。降参するしかない。いくつか前の記事に書いた小説家は、ばななさんのことだった。有料記事の中で拙著2冊に触れてくださった。これもフォロワーさんから聞いて知った。自分の鈍臭さを呪う。フォロワーさん、ありがとう。
今さらわたしが何の説明をする必要もない大作家である。吉本ばななを知らない人生を生きてきた人とは、たぶんわたしは気が合わない。どうしたら織田信長を知らないで生きてこられたの?どこ中?と聞きたい。

書評を拝読し、そうだった、人生ってこうだったと思い出した。影山さんからの3連チャン大フィーバーの感動劇が静かに収束する。わたし、感動している場合じゃない。感動はするものではなく、させるものよ。わたしの口が言った。出たよ、この気性。



【自分にとっての優先順位がはっきりしていれば、一瞬不安になっても道は必ず拓けるということだ。ふたりの女性は全くタイプは違えど、同じように確信を持って自分の人生を歩んでいく。それがこれからの女性の生き方なのかもしれない、と勇気づけられた。】


30年間、わたしにとっての第一優先は自由になることだった。自由は怖い。すっかりそう思わされてきたわたしが自由になるには、相応の勇気が必要だった。でも、時は来る。影山さんも、カーラも、ばななさんも、その時が来た人たちだ。その人の道にそれがあれば、怖かろうと悲しかろうとそれはやってくる。背後に薄黄白色の月光をたたえて。

43歳からの30年間はどうしようか。何を優先して生きていこうか。もう十分。それもそうだ。あとはゆっくり。それもいいだろう。でも、そんなわけはないとわたしの全細胞が笑う。のんびりは死んでからしたらいい。わたしは、小説家になる。




2024年9月29日 ドバイの自宅にて

須王フローラ