お金の使い方




見た目の華やかさとは裏腹に、

味はなかなかにパンチがありました。はは。

調合メディカルハーブです。

肝ケア中。













さて、人と会う3日間を過ごし

自宅に戻ってきました。

帰ってきたら、

いつもより自宅が好きになっていた。

これは調子が良いということ。

今いる場所を好きだと感じられたなら、

万事整っているという合図。













さて、よく質問される

「お金の使い方」について

少し書いていきたいと思います。





わたし、子どもの頃から人に

ご馳走する子どもでした。

プレゼントも大好きだし、

食事もカラオケもタクシー代も

じゃんじゃん出す。


でも、子どもだからお金が何か

わかっていないし、

身の丈も育っていないので、

すごく下手な使い方だったなあれは、

と今では思っています。


「あるから使ってもいい」は

その通りだと思うけれど、

なぜそれが自分の目の前にあるのかを

わかっていないと、

やはりお金は扱えないものです。









お金は自分自身です。

だから、身の丈以上のお金は

使えませんし受け取れません。


わたしは今ではあまり人にご馳走しません。


認定講師であったり20代の子ども相手なら

すべてわたしが出しますが、

ほとんどの友人と仕事相手には

ご馳走しなくなりました。

たぶん去年までは相手が誰であろうと

基本的にすべて自分が出していたと思います。

食事もコンサートも旅行も。

それがじわじわと変わってきました。





ご馳走していた頃は、

何も考えていなかったです。

「持っている方が出せばいい」とかもなく、

自分が出して当然という

長年染みついた当たり前の感覚みたいな。


でも、もう辞めました。

違和感を感じたから。






お金は自分です。

わたしが稼いだお金はわたし自身です。

だから、有難いなんて

いちいち思わないけれど、

そこにあるだけで大切なもの。

存在そのものが好き。


人それぞれお金の身の丈は違いますよね。

だからお金がある人とない人がいる。

稼ぎ続けられる人とそうでない人がいる。


みんな違うんです。身の丈が。器が。


育っているから上、いないから下、

ではないですよ。

そして、青天井に育つものでもありません。

これは、「今」どれくらいの器なのか

という話です。


だから、誰彼構わずご馳走しては

いけなかったんです。

わたしはそれに気づいていませんでした。

なんて自分勝手だったのだろうと思います。







例えばあなたが友達から10万円を

もらったとします。無償でね。

きっと最初は嬉しいでしょう。

いいの?ありがとう!でその場はおしまい。


でも、あとから確実に

違和感を感じるはずです。

感じなかったら不感症。

その違和感は、

本当に貰っても良かったのかな?

のようなドキドキではなく、

きっと、なぜ自分はあの子から10万円を

貰わなきゃいけなかったのだろう!

と人によっては怒りです。

観察力のある人は

怒りにはならないと思いますけれど。





その違和感は正解で、

感じて然るべきものです。

わたしは自分が

子どもの頃から大人になるまで、

ずっとそれを感じてきて、

言葉にならない心地悪さを

持ち続けてきたのに、

あぁわたしも人にしてきたんだと

気づいたんです。


人は、自分の身の丈、

器以上のお金は受け取れません。

だから、たくさん稼ぐ夫と暮らす

専業主婦は居心地の悪さを感じるし、

大金を与えられ続けたお金持ちの子どもは

狂っていくのです。


専業主婦の居心地の悪さは

自分が稼いでいないからではありません。

器が育っていないから。

それと同じで、器がない人が

お金持ちの男性と結婚しても不幸です。

逆も然り。


大金を与えられ続けた子どもは、

自分の身の丈がどんどんわからなくなります。

まだ子どもだからたくさん使ってはいけない、

ではありません。

お金のありがたみを知らないからだめ、

でもありません。これは人間の発達の話です。

大人でも同じです。

だから、器が育っていない人が大金を持つと

狂うのです。










ですから、同じくらいの器の友達には

今もご馳走します。あれ買ってくれる?と

高級な家具だって買ってもらいます。

お互いマンションも土地もあげられます。

信頼しているとかそんな話ではなく、

これはお金の身の丈の話です。


関係性もおかしくなりません。

ずっと仲良しです。











あなたが子どもと仲良くしたいのなら、

大金をあげてはいけません。


わたしは子どもに対して

どんどんお金を使いますが、

それは「わたしと一緒」が前提です。

わたしの身の丈の範囲内、

つまり庇護下にいるからこその

お金は使いますが、

彼女の自由になるお金は月に3,000円です。


今回の出張中、

日用品を買うために置いていった

お金の中から自分の欲しいおもちゃを

いくつも買っていました。総額8,300円。

なので、3ヶ月お小遣いはあげません。

700円で過ごしてもらいます。

がびーーーーんって顔してましたけどね。笑







もちろん自分に対しても同じですよ。

わたしの身の丈のことしかしません。

自分の領分は出ません。

そこに安らぎはなく、

違和感しかありませんから。


身の丈を超えたお金の使い方をすると、

一瞬は楽しいと思うのですが、

実はそれは嬉しいドキドキではなく

不安のハラハラです。

観察力が足らないとわかりませんねこの辺は。











今日はお金の使い方の話でした。



美しい1日をお過ごしください。





ごきげんよう。







須王フローラ