それは運命ではない



生きているとあれこれと経験をするものです。

親がとんでもないバケモノで苦しんでいる子もいれば、そこから抜け出して晴れ晴れしている子もいる。大人になっても親から逃れられず、与えられたものを自慢することで自我を保とうとする人もいる。親を責めながら、今の自分を肯定しようと必死な人もいる。いろんな人がいる。

生きるとは経験です。

親が自殺する場面を見る。子が病気で死ぬ。自分が大病にかかる。姿形が変わってしまうほどの怪我をする。生まれつき見た目が普通でない。こそこそ生きる。何も悪いことをしていないのに。

配偶者が死んだ、離婚した、結婚してみたら殴られた。生きる力を奪われる。一番の味方のはずが一番の敵。生きる気力を失い泣き暮らす人がいる。


わたしは、母が死んでからの30年間、いつも薄ら死にたかったです。グラデーションのように濃淡あれど、消えることはなかった。それは母がいない悲しさではなく、そこから雪崩のように人生が崩壊していったことが理由です。母の死は悲しい、でも大変なのはそこから先だった。映画や漫画の世界が美しく見えるほど、当時わたしの周りにあったのは狂った時間でした。

今は薄らもありません。人生に憂いなく、日々が明るい。生きている限り不安はなくなりませんが、それでも日々は光に溢れている。闇に落ちた人間はどんなに足掻いても日向では生きられないと疑っていました。でも、まったくそうではなかった。

だから、今あなたがどんなに苦しくても、一生そこから逃れられないのではないかと怯えていても、宗教やスピリチュアルにハマって石や壺や墓を買っていても、アル中でも、子どもに当たり散らしていても、整形沼にハマって家から出られなくなっていても、誰かの後を追って死のうとしていても、人を妬んで極悪な性格になっていても、あなたが大丈夫であると信じることができます。わたしを羨む人がいても、憎む人がいても、そうでしょうと思えます。そうでもしていないと自分の人生が許せない、その気持ちがわかります。

有名人はいつも悪口を言われていて、有名であることは大変だなと有名ではないわたしは思います。今頭に思い浮かべている「彼」もしょっちゅうネット上に悪口を書かれていて、でもそこに書かれていることの100%が「〜らしい」です。彼は平然としています。極悪な性格の誰かが彼を貶めようとしたところで、それはまったく不可能だということです。なぜなら彼はそこにいないからです。そして、自分の人生に誇りを持っている。自分を羨む人間がいても、ありがとうね、俺ここまで頑張ったんだよねとしか思いません。

人は、コントロールできないことを運命と呼びます。
今、あなたが受け入れようとしているその苦しみは、本当に運命なのでしょうか。今朝わたしは、努力の末に東大に入り、運命から抜け出した大学生からメッセージをもらいました。


すごく平和な生活で毎日穏やかに過ごせています。苦しい、どうにかしなくちゃとなることが何もなくて、そういう状態が今まであまりなかったので一瞬ちょっと変な感じがしたくらいです。でもこれからはこういう状態が当たり前になるんだなと思います。嬉しいですね。部屋が綺麗だし、お花を飾れているし、誰との関係にも困っていなくて、病気もしていないので、もう私は幸せだなって思います。今までの私の頑張るモチベは苦しみから逃れるためだったんですけど、これからは幸せに生きるためにやっていきたいです。


心からの拍手を送ります。
彼女のこれからの人生が明るい道であることを確信しています。

あなたの道も明るいのです。もっと近くを見てください。遠くばかり見てはいけません。必ずそこに光があります。


人間は自然から逃れることはできません。例え王様であってもです。
わたしたちも自然の一部です。忘れがちですけれどね。
自然との繋がりがないような顔をして生きてはいけません。そんなことはあり得ないのです。
歴史が繰り返すように、四季がめぐるように、自然の中でどう振る舞うかなのですよ、人間の一生は。
歴史から学び、身体(自然)を通して今を知るのです。
人間を特別なものだと思うから、人は悩み、争い、滅びるのです。それは運命ではありません。愚かなだけです。

花を飾りましょう。手入れをしましょう。すべてはそこから始まります。
人生は、必ず良い方向に流れ続けます。そう決まっているのです。



笑いなさいね、ここは明るいのだから。

ごきげんよう。



須王フローラ