世界があなたにフィットする
書きたいことがあるんですけれどね、でもなんだか「ちゃんと」書かないといけないと気負っているのかしら。書けません。 なので「ふふふん」と書けることだけを書いて、ガスを抜いています。 去年小説を書いて新人賞に応募して(箸にも棒にも)思うことがたくさんありました。 やっぱりね、どんなに頭の中で考えたって、立派な誰かのお話を聞いたって、自分でやってみるには敵いません。わかることが100倍量。 どんなに英語を勉強したって話せるようにならないように、話したいなら話す、書きたいなら書く。これしかないのです。 つい最近、ビジネススクールGrandirの1期生から法人成りの報告をもらいました。「結果は、1,000日後」です。ビジネスでもなんでも、結果を焦ると上手くいかない。 やる気が出ない、頑張れない。そんな人は世の中にいなくて、そういう人は、単純に高望みなのです。高い目標、遠く及ばない自分。だから、最初の一歩を踏み出す気にもならない。小さな自分には小さな成果しか出せませんよ。でも、それを認めることができない。だから、何も始まらない。 認めるというのは、うんそうだなと思うことではなくて、小さな結果を出し続けるということです。小さな結果しか出なくても、1,000日やるってこと。認めるってのは、そういうことです。 Grandir卒業生には、会社員を辞めて起業した人、個人事業から法人成りした人、売上が何倍にもなった人、本を出した人、そうした素晴らしい成果を出した人がたくさんいますが、そうなれない人もたくさんいます。 それはカリキュラムが悪いんじゃなくて、本人が自分を諦めないからです。 過去に栄光がある人ほどその傾向にあるね。過去の栄光と1,000日は無関係です。今ここからの1,000日ですよ。がんばりましょう。 いま、わたしは、YouTuberになるべく準備をしています。 YouTubeやるのわたし。ひえー 3月に思い立って、すぐに数社と面談して委託先を決めて、打ち合わせを重ねて、今月ドバイで撮影です。 フォローしてね。 Energy Philosophy YouTube Academy ずっとやりたくなかったのです。美意識に合わなくて。 でも、目が大人になってきたら細かいことが気にならなくなりまして。 なぜなら、見えないから! (半分冗談、半分本気) あとの半分は、終活みたいなものです。残しておきたい、一箇所に。 それを小説でできたら最高だったけれど、実力が足らない。書いてみて、実力を待っていたら死ぬなと思いました。だから、舵を切ったわけです。 YouTubeなんて何からやったらいいかわからないので、色々調べながら進めています。説教くさい話は聞きたくないな(わたしが)、ぼーっと眺めてクスッと笑えたらいいな、友達の話を聞いているくらいの感覚がいいなと思っています。あんのか?その演技力。結果は、1,000日後。じっくり取り組んでいきます。 引き続き小説も進めていますし、勉強もしています。勉強というのは、色んな作家の本を読むことと(読める本と読めない本を仕分けしつつ)、小説家の話を聞くことです。 最近、面白かったのが、これは本当によい気付きだったのですけれど、わたしが有料会員になっている某有名小説家のコンテンツがありまして、そこでその方がある作品のあるシーンに対して「ここに至るまでの描写が足りない」と言ったのです。もうびっくりしましてね。 出会ってすぐに、あんなに親しくなるわけがない(女子高生同士) と言うのです。 いや、あるよ? 特に女子高生、普通にあるよ? 出会ったその瞬間からお互いを呼び捨てして 10年来の親友みたいに遊ぶことなんて普通に起きるよ? これは本当に良かったですね。 優秀な方で、作品も売れていて、かつ有料会員になるくらいですから、わたしはその方のトークから滲む人間性も好きなわけで、そのいいなと思っていた方がすごいことを言った。「出会ってすぐに、あんなに親しくなるわけがない」 ビジネスは学問になるくらいセオリーがあるものだけれど、創作は(商品作りは)セオリーなんてなくてセンス8割、訓練2割。なんて書くと、センスは生まれつきと思うかも知れないけれど、センスは時間をかけて磨くものだし、訓練なんてのは自分のセンスを引き出すことですから特段苦しくないし、どちらも、誰にでもできることです。 その方の発言を聞いて、その方のセンスは素晴らしい。でも、わたしのセンスも素晴らしいと思いました。わたしに足らないのは、訓練のほう。とっても頑張ろうと思いました。人は自分のセンスを磨き、そのセンスを引き出す訓練をしたらいいのですから。 引き出すといえば、一昨日、プラダを着た悪魔2を観てきたのですが「布を着るのをやめよう」と改めて思いました。 わたしはおしゃれではありません。おしゃれなものはわかるけれど、うちの認定講師総代の高橋やファッションを仕事にしている受講生のように、ふぁさーっとストールを巻くだけでおしゃれ、そんな現象は起きません。自分がダサいことを自覚しています。 でもね、思ったんです、映画を観て。おしゃれを「勉強」しようとするから、多くの人はカッコよくならないんだなって。自分というセンスを引き出す訓練をすれば、人はダサくなりようがないんだなと思ったのですよ。 それに、自分のセンスを出さないということは、自分として生きていないということですからね。センスを出さずして、自分らしく生きられないのは当然のことだよねと思ったのです。 上等なものを着ていれば上等な扱いを受ける。これは正直、特に海外においては、一定の場面において真実です。でも、それ以上に大切なことは、センス(内面)をそのままファッションやメイク(外見)に投影することです。だって、それが自分として生きるということで、それを他者がどう評価するかがビジネス、立場、人間関係、諸々ですから。 わたしがヴェルサーチのブラウスを着たらおかしいですが、わたしがバレンティノのドレスを着たらとても似合うのです。そういったことに真剣に向き合うことが、より、自分の人生を自分らしく生きることに繋がる。心からそう思ったのです。 おしゃれしたい、可愛くなりたい。そうではなくて、自分を表現できるものを着たい。きっとそれは心地が良いでしょう。 かっこいい文章が書きたい、認められる文章が書きたい。それよりも、自分のセンスを表現できる言葉を見つけたい。それはこの世の快楽でしょう。そのための、訓練です。 ただ、そこには時間が必要です。想像したってわかりますよね。お洋服ひとつ買うのだって、時間をかけてお店を回って、時間をかけて試着をして、サイズが合わなければお直しする。とても手間です。わたしみたいなタイプはそれができない。 誰かが家に持ってきてくれたものを買う。それにもメリットはあります、物語も生まれます。でもここで話しているのは、センスと訓練の話。そこにおいて、そのやり方では通用しません。 おしゃれな人に任せる、それも一手でしょう。でも、その方も本人ではありませんから、ナビはできても当てることはできません。あなたのことをわかってもらうには、相応の時間がかかります。やはり手間は必要です。 今、何を着ていますか。 それはあなたを適切に表現しているかしら? 世界が自分にフィットしないのは、自分が自分を表現していないから。 1,000日を積み重ねないから。 わたしは今日はお気に入りのブラウスを着ることにします。 こちら、午前9時30分。 シャワーを浴びて、仕事をします。 では、またね。 ごきげんよう。 須王フローラ
