天のこと、地のこと



3月6日、ドバイから日本に帰国しました。戦争を体験した1週間、日本に帰ってきてからの3週間、こんなにも気持ちが揺れ動いたのは久しぶりのことでした。帰国してすぐ、インスタライブをしました。泣くつもりはなかったのですが、つい泣いてしまいました。あのときは、悲しくて、傷ついていて、心身を休めることが難しかった。だから、「今わたしは傷ついています」とはっきり言いました。言葉にすることで、自分を癒しました。

ドバイ空港から飛行機に乗ってしばらくすると、身体がゆるんだのを感じました。それまでどれだけ緊張していたのかがわかりました。それでも日本に帰ってしばらくは身体がつらくて、整体を受けたり、自然の多い場所に行って時間を過ごしました。今はだいぶ身体が癒えてきたので、気持ちにも余裕を感じられるようになりました。

noteも何度も書いては消し、書いては消しを繰り返していました。残しておきたい気持ち、伝えたい気持ち、でも言えない、書けない。自分の気持ちを書くことなんて難しくないのに、こんなにも慎重になる自分に初めて出会いました。自分の目と、他人の目と、UAEに対する愛と、日本にいられる幸運と、いくつもの感情が重なっています。

日本に帰って来られるわたしがいます。でも、帰る場所がない友人たちもいます。イスラエルの友人はこれまでの人生をどんな気持ちで生きてきたのだろう、私は彼女を傷つけなかっただろうか、ロシアの彼女はどこに避難しているのだろう、元気にしているのだろうか、イランの彼はどんな気持ちで一緒に食事をしてくれたのだろう、私は何も知らなかった。無知は罪なのか、でも、すべてを知ることはできない。では私たちはどう生きればいいのか。何度考えを巡らせても、やはり愛由来に生きるしかないというところに辿り着きます。

ドバイにいた1週間、たくさんのメッセージをもらいました。そのどれもが私を心配してのもので、愛で、それでも私は傷ついていました。確かに私は無事で、こうして日本に退避できています。でも、助かっている私がいる一方で、助かっていない誰かがいるのです。母が亡くなってから20年以上、なぜ私だけが生きているのか、私のせいで母が死んだのではないかと考えていました。当然そんなことはあるわけもなく、小学生だった私にできることなど何もなかったと頭ではわかるのに、それでも生きている自分が許せなかった。あの体感がまた戻ってくるようで、呼吸をしてはいけないような気持ちでした。

傷ついたと書きましたが、人が他人に傷つけられることなどあり得ません。誰かに何かを言われて傷つくのは、自分で自分のことをそう思っているからです。傷つくのではなく、傷ついている人がいるだけ。傷ついている私がいたから、誰かの言葉に傷ついたのです。エネルギー哲学では、人は存在が8割、自分が癒やされると他人も癒されると説きます。まさにその通りだと、何度も思いました。傷つくのと同時に、誰かの日常に救われていたのです。癒されている人に助けられるのです。だからやはりわたしはこれからも自分が嬉しかったこと楽しかったことを躊躇なく伝え、誰に嫌われても誰を傷つけても、自分の豊かさを表現し続けようと思いました。それが、愛だからです。

ドバイにいた1週間の間に、ミサイル、ドローン、無人戦闘機、あわせて1,000機が上空を飛びました。UAE軍はそのほとんどを迎撃し、地上に混乱はなく、市民は落ち着いていました。最初のアラートが鳴ったとき、私と娘は自宅にいました。玄関を開けると非常階段を使って避難する人たちが見えました。隣の部屋のスペイン人女性と相談して、私たちは一緒にグランドロアに避難をすることにしました。フロアにはたくさんの人がいました。私たちは、譲り合い、励まし合い、楽しい話をして過ごしました。外では迎撃音が聞こえ、爆発の衝撃波で建物が揺れます。それでも恐怖を感じることなく過ごせたのは、レジデンスのスタッフや住人がいてくれたからです。スペイン人女性とは初対面でしたが、並んで座り、お互いの話をしました。お互い娘を持つ母親で、離婚していて、40代で、会社経営者で、思わぬところで友人ができました。今度一緒に食事をしようと約束をしました。

私たちドバイに暮らす人々は、UAEを世界一安全な国の一つだと思っています。今でもそう思っています。UAEに期待しています。中東という言葉からイメージするものとはまったく違う平和な光景が、UAE、カタール、オマーン、サウジアラビアにはあります。オイルがフューチャーされがちですが、わたしたち住民にとってのUAEは「治安が良い」「人が良い」なのです。そうでなければあの地に暮らしません。

わたしは今回のことでさらにUAEのことが好きになりました。あれだけの国防力があり、それが実際に機能する様を目の当たりにしました。言葉ではなく、身体でそれを知りました。千のミサイル、ドローン、無人戦闘機を迎撃し、それでも地上は混乱しないのです。スーパーもカフェも営業している、デリバリーも届く、工事現場も止まらない。とても不思議な光景でした。天と地で世界がわかれているようでした。天のことに地から感謝しました。国は、国民ではない外国人のわたしたちも同じように助けてくれました。これが、「私たちは私たちの国のトップを信じている」と自国民が言える国なのだと思いました。私も日本という国を信じています。日本人である自分を誇りに思っています。そうでなければ、仕事も家族も友人も恋人も何もかもある自国を出て、海外で何かをしようなど思いません。そのまま日本にいた方が何倍も楽です。それでも誰かが出ていかなければ、誰が外貨を稼ぐのでしょう。

レジデンスのスタッフや住人、近隣のお店の方、娘の学校の先生や保護者の皆さんとの繋がりにも、心からの感謝をしました。もしこうしたコミュニティに所属していなければ、もっと心細い思いをしたと思います。スペイン人の彼女は、水を持ってこようか?コーヒーいる?と終始気遣ってくれました。同じ学校のママ友とは、情報を交換し合いました。取引先である現地企業の担当者はたまたま海外にいましたが、心配して連絡をくれました。その全部に感謝をしました。

私は、自由であることが好きです。それはもう子どもの頃からそうでした。グループに所属することが苦手でした。でも、やはり人は人がいないと生きてはいけません。コミュニティという言葉の意味を、わたしは捻じ曲げて捉えていたのだと思いました。本来コミュニティとはメリットを得るために所属するものではなく、生きるために所属する場所です。生きるために所属し、かつ自分も貢献したいと思える場所。それがコミュニティです。学校、地域、家庭、趣味、ビジネス、そうした場所に、もっと真剣に参加しようと思いました。自分が作ったコミュニティも、さらに大切にしようと思いました。大切にした分だけ、自分にとって大切なものになります。だから、もっと。人は大切なものがあればあるほど、依存できる場所があればあるほど強く生きていけるからです。

海外に出ると日本人でよかったと思う場面に度々出会います。日本人だというだけで安心され、日本人というだけで取引をしてもらえたことは何度もあります。それは市井の人々も含め、先人たちが外交をしてきてくれたおかげです。日本にやってくる外国人に親切にしようと思いました。私たちも海外に行ったときにレストランの店員さんの接客が良かっただけで、その国全体の印象が良くなりますよね。タクシードライバーに不当な金額を請求されたら、その国を残念に思いますよね。一人一人が国です。

日本政府が最初に用意してくれたチャーター機は、エチオピア航空でした。アブダビ、ドバイから隣国オマーンのマスカットまで陸路で移動しての脱出でした。争いの裏に、たくさんの助け合いを見ました。ドバイ空港でも、羽田までのフライト中も、帰ってきてからも、わたしは助けられてばかりでした。自分一人でできることなど何もありませんでした。頼り切って生きている自分を自覚しました。感謝と思わなくても、自然と感謝が湧き続ける体験でした。これが感謝なのだと理解しました。

つい最近、わたしは2019年以降、欲しくて手に入らなかったものが一つもないと気づきました。その理由が今回わかったと思いました。長くなるので、それは来月の妖精の庭に書きますが、結局エネルギー哲学なのだと確信しています。見えるものと見えないものを同時に見ること、観察力を養うこと、愛由来の言動を増やすこと、そのために自分が癒されていること。誰にも何にも勝たない生き方を、これからも貫いていきたいと思います。勝とうとするから負けるのです。コントロールしようとするから争うのです。そんなことをしなくても生きていけるのだと、いい加減に理解しないといけません。

先が見えなくて不安になることがあるかもしれませんが、それは目の前だけを見ているからです。目に見える世界は、この世の5%です。この世の構造を学び、体感し、生きていきましょう。


長くなりました。
読んでくださってありがとう。

みなさんがみなさんであることに癒されています。
いつもありがとう。





東京の定宿にて。

須王フローラ