忘れては、思い出す
先週からInstagramで、エネルギー講座卒業生たちとコラボライブ配信をしています。 認定講師総代の高橋と配信をしたとき、なぜ講座を受講しようと決めたのかを聞いたのです。高橋は6年前に1期を受講しています。 答えは、わたしの当時のブログを読んだからでした。 実は、1冊目の本を出すとき、ブログとラジオの多くを消しました。何を消したのかというと、見えない世界についての本当をです。 かれこれ20年以上ブログを書いてきました。たくさんの記事を書きました。それがわたしが人に何かを伝える唯一の媒体でしたから。 ただ、思ったのです。本が出るということは一種の「公に出る儀式」で、だから、読める人が少ない「そういうもの」は下書きに保存して、一般受けするものだけ残しておいた方がいいんじゃないかって。 それが良かったのか悪かったのかはわかりません。それはわたしを薄める行為になったのかもしれません。ただ、高橋の一言で、今、当時の記事を公開していこうと思ったわたしがいて、それをするためにこうして手が動くので、きっと今がそのタイミングなのだと思います。時代が回るように、人一人の中でも、こうしてタイミングは回っていくのです。 最近わたしを知った方には、はじめましてな須王フローラだと思います。 事象ではなく構造を書く作業の難しさは、なんと言いますか「教えてあげる」スタンスになりがちだということです。知りたい人がいて、書けるわたしがいるのだからそれで成立しているのかもしれません。でも、わたしは苦手なのです。上段からものを言うことが。上にも立ちたくない、横にも並びたくない、離れていたい。違うのだから。そう思っています。難しい。だから小説が書きたいのですし、だから消したのですし、でも、伝えたい。なんとも面倒臭いところで揺れ動いています。 当時高橋は、スピリチュアルなことに興味があったと言います。 でも、誰の何を読んでも、核心の周囲をなぞるような、ぐるぐる回っているだけで「結局何なの?」と思っていた。その答えが、わたしの書いたものを読むと、本当のことに触れられる感覚があった。そして、本講座を受けてやっとわかったと言います。 見えない世界を言葉で語るのは難しくありません。なぜなら、視えているのだから。語ることの何が難しいかって、相手には視えていないことです。英語を話さない人に、I'm good.と言っても断りの表現だとはわからないでしょう。レストランで食事をすることに慣れていない人は、食事中にフォークを落としたら自分で拾ってしまうでしょう。コート渡されても、受け取って自分で着てしまうでしょう。日々にそうした「通じない」があるように、共通認識のないものを伝わるように書くことは難しいのです。 でも、受け取れる人が少なくても、ここに辿り着く人は、それがわかるからここに立っているわけですし、だったらやっぱり書いていいのかって。 好きなようにしようって思ったのです。嬉しいことをしようって。 ダイエットがうまくいって嬉しい、ビジネスがうまくいって嬉しい、本が売れて嬉しい、受講生が喜んでくれて嬉しい、それでいいって。 当たり前のことを言っていると思いますよね、ほんとうにそうなのです。でも、そうではないのです。「わたしがどうか」はもういいって思ったんです。自分の話ばっかりだなと。わたしという自我はもういいから、もっとわたしを喜ばせたい。今世限りの、今のこのわたしにもっとシンプルな喜びを与えたい。誰かにそれを伝えるためには、わたしがそうでないとならない。だからなのです。 250人しか読んでいなかったブログでしていたことを、総フォロワー5万人の今書くのです。緊張しちゃうね。 ちなみに、250人しかいなくたってビジネスは成立するんですよ。わたしはそれだけのフォロワーで、売上は十分にありましたから。ビジネスにフォロワー数は必要ないです。小説家には欲しいけれど。 2017年からの記事と、今の記事とを混ぜながら、合わせて1,000以上あるものを、「読める文章」にしていきます。それでは、次の記事からね。 あなたの毎日に、視えない世界からの守護がありますように。 疑わないで。疑ったら、後ろの存在もあなたを疑ってしまう。 大元に繋がるチャクラに滞りが生じてしまう。 癒しは、日々起きるもの。何もしなくても。 その状態を作るためには、否定しないこと。 「そう」思う自分を否定しないこと。 大丈夫。あなたが感じていること、わたしが言葉にしていくから。 ただ、受け取って、そうだったと思い出して。 生きるは、その繰り返し。忘れて、思い出す。 今日も良い一日を。 須王フローラ
