いつか、音楽が聞こえる



子どもが国際数学大会に出るというので、日曜日の早朝から送迎をしてきました。
先週火曜日から崩していた体調はようやく回復し始め、体に力が戻ってきたことを感じます。


先月車を買ったので、今朝の送迎も自分で行ってきました。
行きはまだ体力があったのでなんとも思わなかったのですけれど、大変だったのが帰り道。
日本の調子でエアコンを24度にしていたら、ちっとも効かない。皮膚に突き刺さる太陽光、蒸し焼きにされそうな車内の重苦しい空気、荒くなる呼吸。ひぃ。
エアコンの温度をマックスに下げ、直接肌に当たるように風向きを変え、買ったはいいけれど日本では出番のなかったサンバリア(日傘メーカー)のガンダムみたいなアームカバーを装着し、息も絶え絶え帰宅してこれを書いています。ドバイ、あっつい。



わたしは運転が得意です。強引に割り込んでくる車も、ハイスピードで走る車も怖くない。でもドバイの道路には勝てなかった。
分岐が多すぎる。一度間違えると20分遠回り。すぐそこに自宅は見えているのに辿り着けない!何これ!
ママ友に聞くと、そうなの〜最初の1ヶ月は全然家に帰れなかったわ〜と。ひぃ。
無事に帰ってこられたことを奇跡に思います。夕方の迎えも無事に行って帰ってこられますように。




さて、少し休んで昼食をすませたら執筆をします。
相変わらず、書くときは中村天平さん。
音楽があると書けないのに、彼のピアノだけは違う。1冊目の執筆からずっと天平さんの曲と共に書いています。もはや、ないと書けない。
自分一人で立てないのを音が支えてくれる感覚かもしれません。まだ言語化はできないのだけれど。



2年前の朗読会、ピアニストの子がわたしが朗読する後ろでジブリの曲を弾きました。絶対にジブリもディズニーも弾かないでねと頼んだのに弾いた。
彼女がそれを弾き始めた瞬間ピアノに気が逸れて、どこを読んでいるのかわからなくなりました。没入していた世界が一瞬にして消えてしまった。あぁしまった、もう一度強く言えば良かったと後悔しましたがもう遅い。
朗読していたのが自分の本なので事なきを得ましたが、あれが他人の本だったらリカバリーできなかったかもしれない。それくらい音楽というものは一瞬ですべてをさらってしまうので、音も、声も、曲も、丁寧に扱わないといけないと思っています。細胞から全部を持っていかれてしまうから。



文章も似ていると思います。
いつか、音楽が聞こえてくるような文章が書けますように。



みなさま、良い午後を。
ごきげんよう。


2024年11月10日  ドバイの自宅にて

須王フローラ